AMELOG 猫と暮らすってどういうこと
きょうの一曲
この曲を聴いて、春を楽しみませんか ♪
「春へのあこがれ」モーツァルト
♡〜(=^・^=)(^∀^)〜♡
さて、きょうは、
過去写真を整理していて気づいたのですが、
先代猫「だい兄たん」をちょくちょく訪ねているチャメさんに
目がとどまりましたので。
忘れもしません。
韓国で、2016/11/4 に虹の橋を渡って行った「だい」を
見送ってから心にぽっかり穴が空いたような日々が流れて、
40日目の真冬のある日に、やって来たのがチャメさんでした。
兄たんおはよう
整っていたこともあり、私が見捨てることができないタチであったことで、
この子は「ラッキー」と名付けられたのですが、
ある日のこと、「違うよ」という思いが来ました。
もしかしたら、
チャメさんを連れて来た (と思える) だいの声だったのかもね。
それですぐに「チャメ」という名前が浮かんでのですよ。
あ、兄たん〜
その後、一度も「チャメ」という名前に違和感を感じたこともなく、
この女の子にはこの名前しかないでしょう、という実感でした。
兄たん、また来ちゃった (=´∇`=)
5才になります。
こうして、たびたび、「だい兄たん」のモニュメントを
訪ねるチャメを見ていると、何かしらのメッセージを
受けているのではないかと感じます。
夜中も、
「あ、兄たん ? 」という顔つきで、天井の一角をわりに長い時間、
見上げている時もありますし。
それに、最近、とても確信に満ちた
「虹の橋を渡った猫や犬たちはここにいる」といったテーマで
書かれたマジメな情報にも出会いましたので、
以前より、いっそう、嬉しくといいますか、希望が湧いているところです。
その人の情報の中で特に印象的だったのは、
「動物は霊界には行きません。霊界のすぐ近くにある動物たちだけの
世界に行きます。そこでは、お世話をするひとがついています。
生前に愛してくれたひとがやって来ると会えます。でも、それは一時の
間だけで、やがて、「何々ちゃん」と呼ぶ固有の存在ではなく、猫なら
猫だけのひとつの塊 (集団 ?) になって楽しく暮らすようになります。」
とまあ、こんな説が述べられているのですが、
その真偽のほどは別にして、「願い」としては、信じたいし、以前から
動物と暮らした経験のある人々の殆どが深い愛の絆で結ばれているのに、
死んでお終い ? というあくなき疑問を持っていましたから。
それに、ひとを創られた神様は動物の命を愛されないはずはありません !
あ、ちょっとうがった物言いになってしまいましたけど、
同感する方のご意見を伺ってみたいなあ、
と思うわたくしであります ( ╹◡╹)b
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