2023/04/28

食べてくれさいすれば & 文学の小道・ドストエフスキー

 


CHAMELOG  猫と暮らすってこういうことでしょ

ときどき文学



おっと、忘れるとこでした σ(´∀`)

うちのチャメ姫はどうなっとるかと言いますと、

ハリケーン去った後の 1-2日は、ぼんやりしていたり、

だらだら食いで過ごすという具合なんです。

なにか ?



いえいえ、いっこうにかまわないことよ。

食べてくれさえすれば、それでよし ❣️

パソコンの上であろうとどこであろうとネ ( `∀´)ひひひ

チャメ地方は、春霞のまあまあの天気です。


🐾📗🐾📕🐾


ここらで tea time にしましょう。


そうですね、賢治の世界は、

「銀河鉄道の夜」が、あまりにも強烈な印象を

与えてくれたので、しばらくは、その余韻に浸っているうちに、

時間が経ってしまいました。

なんと言っても、賢治はことのほか、霊的感性の持ち主であったと

いうことの発見が、私を心をとりこにした点です。

これからも探索を深めていきたいと思います。


さて、

何日か前に、ふと、ドフトエフスキーの前で立ち止まってしまいました。

理屈っぽいロシア文学に辟易しながらも、

「罪と罰」くらい、読破しておかないと、ロシア文学に失礼ではないかと、

そんな、いいかげんな気持ちで、門から入ったところです。

(拝借)

一応、読み終えてみると、内容はそんなに複雑ではないように思います。

けれど、まず名前に転びますよね。

登場人物の名前が長い上に、馴染みが薄くて、

記憶の引き出しに収まらないのが、鬱陶しいひとつの難関です。

ついでですが、

この「鬱陶しい」という字、ほんとにうっとおしさを表現してますね(笑)


それに。

時代背景、ロシア人とキリスト教、共産主義思想の弊害、

などに及んでは、相当、探求しなければならないですね。


さて、

「罪と罰」を知らない人はいないでしょうね。

わたしも題名は知っています。中学生の頃からネ

でも、ドフトエフスキーの人生観までは読み取れていませんでした。


時代背景とおいたちなどの要因が大きな影響を与えることは、

どんな場合にも否めません。

ロシアを知るには時間が必要だと感じます。

時間の問題だけではないように思えて、ハードルの高さを感じていますけど...。


賢治の世界とまったくの別だと思うのは、

特に、宗教との関係にそれを感じます。

極貧という環境に置かれても、人生の糧になるひと、

逆に、曲折した人生観に向かうひと。


それにしても今、賢治とドフトエフスキーを同時に、招き入れるのは、

どうかと思いつつ、どうしてもやり過ごすことができないのが

自身、とても不思議な感じがします。


長編ですからね。



「罪」の発症から、どのような経緯をたどって、

「罰」が迫り来るのか、

これが、中心テーマであることは当然です。


その経緯に、キリスト教精神があるひととないひとの

人生のありようが、その根底に実に鮮明に浮かび上がってきます。


数十日後、一応の読破を終えて、

やはり、脳裏と心に残ったのは、罪を犯せば罰を受ける。

けれども、罪とは、罰とは、と掘り下げていくと、

主人公の青年・ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ、長っ❣️

彼が、世の刑法で罰せられることで、

ほんとうの意味で、犯した罪の大きさが分かり、

罰の妥当性を理解して受け止めることができるのか。

そして、真の救いと再出発ができるのかという問いかけをしてみよう。

奇異な出会いによって、人生の伴侶を得ることになって、

結末は、少々端折ったハッピーエンドになっているのが、

それまで描いていたドフトエフスキー像から遠く感じられます。

おそらく、彼が犯した罪の重さと自身の人生観の過ちに築くのは、

かなり時間がかかると思うのですよ。

被害者の老婆と妹を「クズ」と確信していたのですから、

貴い命を奪ったという真の悔い改めに至るには、

刑法では裁ききれない課題があるように思えます。(完)


※ 神を知る。霊界を知る。そして、人間を知る。

 という3大テーマには、悠久な歴史に流れているのです。


ドフトエフスキーの道、遠しですね(   ╹◡╹)b

深い読破歴をお持ちの方の感想もお聞きしてみたいところです。

では、また👋