CHAMELOG 猫と暮らすってこういうことでしょ
☆ さ、さ、食べましょ !
(ΦωΦ)
あまり、気が進まないチャメさん。
わたしも、(め_め)
すると、
食べればいいにゃのね
と、食べ始める。
にらめっこじゃ負けませんで (笑)
☆ わあ、中はこんなんだぁ ヾ(゚∀゚ゞ)
ぐはぁ〜 !
洞窟みたいで、ちょっとこわい (笑)
あ、右の上の歯が歯肉炎になりかけている !
これ、医師に見せてケアアドバイスを受けるのにいいかも ( ╹◡╹)b
毎日、2-3回、ガーゼでみがいてはいますけど、なかなかネ
☆ ごめん寝中かな ?
うそ寝中かなぁ (笑)
うつらうつら
こんなときにも完璧に近い香箱座りを忘れないチャメさん ((^◡^))
🐾📗 🐾📕 🐾📘
ブログ友の「書評サイト」を拝見しながら、
ふと、昔(高校生の頃)、はまり込んでしまった「太宰文学」の
ことを思い出して、YouTube で、特に朗読の天才、
西村俊彦さんの読み聞かせで訪ねてみました。
代表的な作品は、すでに読んでいましたが、
改めて聴いてみて、「あれっ」という感じなのですよ。
なにがと問われれば、うまく表現できないのですが、
あの頃、太宰から感じとっていた「キリスト教精神」のようなものを
感じられないのです。
ふとしたきっかけで、教会に通うようになり、
大勢の前で、「キリスト教と太宰」といった証を熱く語ったことも。
わたしには強いインパクトがあり、信仰の動機にもなっていたような。
ところが、今、改めて、太宰を読み返してみると、
「厭世哲学」というのでしょうか、命を終えたいという面だけが
強い印象で伝わってきて、神様への不遜さえ感じます。
「彼はそんな人だったのか」という。
そういうことってあるのかも知れません。
太宰を批判して終わろうとは思いません。
けど、若き日々に、わたしはいったい、何を感じとっていたのか、
はなはだ、疑問を感じる最近です。
太宰、芥川...自ら命を絶って、人生を終える作家たち。
わたしは、決して許せない、という義憤さえ感じるのです φ( ̄^ ̄ )
(フアンの皆さん、ひとり言とスルーしてください 😅 )
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