2023/03/23

「賢治」を訪ねて ?

 


CHAMELOG  猫と暮らすってこういうことでしょ

ときどき探索


きょうの一枚。

にゃにしてんの ?



と、監視の日々です  ((^◡^))


🐾📗🐾📕🐾


賢治を訪ねて ?


「?」がついているのは、世の数知れない賢治フアンの方々には

及ばないので、控えめに...ということで(笑)


ようやく、重たいみこしをあげる気力が出てきたようです。

遠い世界のような、そうではなく、自身の中にあるような、

不思議な感覚です。

「銀河鉄道の夜」

これまで、わたしは、なかば、お伽話を読むような気持ちで、

「ひろい読み」に似た賢治の世界でした。

けれども、

ある日、ふと、「?」と思いつき、訪ねてみたのですが、

そこに繰り広げられていたのは、

とてつもないもうひとつの現実の世界であると。

その世界を、賢治は見たのだと思うときに、戦慄しました。


ジョバンニとカンパネルラを乗せた銀河鉄道をゆく汽車は...

賢治が見た「もうひとつの世界」、そう現実の。きわめて !


一般的見地からも、星空は、うつせみと霊界の共有部分だと思っていました。

今でも、わたしの知る限り、

 地上の人々が、やがていくことになる世界への訓練のために、

 神様がおかれた世界である。

 宇宙と時空を超えた世界のはざまに横たわるのが天の川であると。


ここに表現された銀河の向こうの世界については、

ふたりを通して、ずいぶん、的確に表されています。

そうですね。

そこは、霊界なのです。

なぜ、そう確信できるのかというと、わたしはかつて、

多くの体験をしていました。

その体験と、ある経典から知った事実が、

しっかりと、賢治が見たのは、明らかな霊的世界だと理解させました。


たとえば、銀河鉄道から見える水晶のような川。

「水晶より透き通っている」と表現しているのですが、

わたしは、そうなのですよ !

と確信に満ちて答えられる... のですが、

「知っていた」という程度の実感ではなくて、「そう、水晶より

透き通っているのです」という実感です。


ところで、

カンパネルラは、ガキ大将のクラスメイトを助けるために、

溺れてしまうわけですが、カンパネルラは、

「いちばん良いことをしたら、おっかさんの幸いになるね」と

いう場面があります。

「ひとが友のためにいのちを捨てるほど大きな愛はない」

この聖句がカンパネルラの心をしめていたのでしょう。


銀河鉄道は、ジョバンニを地上に、カンパネルラを霊界に、

という結末なのですが、そこに着く前に、ふたりに訪れた旅は、

やがて、いつの日か出逢う日までの思い出となって、

神様からの贈り物として、それぞれの胸に刻まれるのですね。

     挿絵 うじいえあやこ

(拝借)


さて、「銀河鉄道の夜」を読み返したときに、

今回はいっとう先に浮かんだ思いと関心は、

「賢治は、どうしてこれほどまでに、霊界を知り得たのか」と

いうことでした。


望んでいるとおりの世界が現れる...

それも、ある経典で知ったのですが、

望んでいるといっても、「自分が欲しいから」では、

よいものが現れないのです。

ところが、「誰かのために」(たとえば神様を)という動機であれば、

最高の形で登場する...と。

わたしがこよなく尊敬するある方の考えには、

霊界であろうと、地上であろうと、

鉄則のように根強く敷かれた人生観であると。


そのような世界は、もうひとつの現実世界には、

歴然と「ある」のですね。


賢治は、胸を患い、最後は吐血して、命を終えたのですが、

当然のこととは言え、決して、彼の人生感の中には、

自ら命を絶つ、という選択肢はなかったことが救いです。

繊細すぎるほどの感性の持ち主ですが、

賢治には、「生きる」という姿勢だけが根づいています。

神様、いえ彼は熱心な仏教徒でしたが、彼の中では、

「神様」と「仏」は同一のものとして調和されていたと思います。


さて、これからが「賢治を訪ねる旅」への旅たちだと感じています。

断片的に心に浮かぶことを、ただ、徒然に書いたに過ぎません。


では、どうぞ、立ち寄って下さった皆さんの

「賢治観」なるものをお聞かせくだされば、さいわいです。φ( ̄- ̄ )