CHAMELOG 猫と暮らすってこういうことでしょ
ときどき探索
きょうの一枚。
にゃにしてんの ?
賢治を訪ねて ?
「?」がついているのは、世の数知れない賢治フアンの方々には
及ばないので、控えめに...ということで(笑)
ようやく、重たいみこしをあげる気力が出てきたようです。
遠い世界のような、そうではなく、自身の中にあるような、
不思議な感覚です。
「銀河鉄道の夜」
これまで、わたしは、なかば、お伽話を読むような気持ちで、
「ひろい読み」に似た賢治の世界でした。
けれども、
ある日、ふと、「?」と思いつき、訪ねてみたのですが、
そこに繰り広げられていたのは、
とてつもないもうひとつの現実の世界であると。
その世界を、賢治は見たのだと思うときに、戦慄しました。
ジョバンニとカンパネルラを乗せた銀河鉄道をゆく汽車は...
賢治が見た「もうひとつの世界」、そう現実の。きわめて !
一般的見地からも、星空は、うつせみと霊界の共有部分だと思っていました。
今でも、わたしの知る限り、
地上の人々が、やがていくことになる世界への訓練のために、
神様がおかれた世界である。
宇宙と時空を超えた世界のはざまに横たわるのが天の川であると。
ここに表現された銀河の向こうの世界については、
ふたりを通して、ずいぶん、的確に表されています。
そうですね。
そこは、霊界なのです。
なぜ、そう確信できるのかというと、わたしはかつて、
多くの体験をしていました。
その体験と、ある経典から知った事実が、
しっかりと、賢治が見たのは、明らかな霊的世界だと理解させました。
たとえば、銀河鉄道から見える水晶のような川。
「水晶より透き通っている」と表現しているのですが、
わたしは、そうなのですよ !
と確信に満ちて答えられる... のですが、
「知っていた」という程度の実感ではなくて、「そう、水晶より
透き通っているのです」という実感です。
ところで、
カンパネルラは、ガキ大将のクラスメイトを助けるために、
溺れてしまうわけですが、カンパネルラは、
「いちばん良いことをしたら、おっかさんの幸いになるね」と
いう場面があります。
「ひとが友のためにいのちを捨てるほど大きな愛はない」
この聖句がカンパネルラの心をしめていたのでしょう。
銀河鉄道は、ジョバンニを地上に、カンパネルラを霊界に、
という結末なのですが、そこに着く前に、ふたりに訪れた旅は、
やがて、いつの日か出逢う日までの思い出となって、
神様からの贈り物として、それぞれの胸に刻まれるのですね。
挿絵 うじいえあやこ
さて、「銀河鉄道の夜」を読み返したときに、
今回はいっとう先に浮かんだ思いと関心は、
「賢治は、どうしてこれほどまでに、霊界を知り得たのか」と
いうことでした。
望んでいるとおりの世界が現れる...
それも、ある経典で知ったのですが、
望んでいるといっても、「自分が欲しいから」では、
よいものが現れないのです。
ところが、「誰かのために」(たとえば神様を)という動機であれば、
最高の形で登場する...と。
わたしがこよなく尊敬するある方の考えには、
霊界であろうと、地上であろうと、
鉄則のように根強く敷かれた人生観であると。
そのような世界は、もうひとつの現実世界には、
歴然と「ある」のですね。
賢治は、胸を患い、最後は吐血して、命を終えたのですが、
当然のこととは言え、決して、彼の人生感の中には、
自ら命を絶つ、という選択肢はなかったことが救いです。
繊細すぎるほどの感性の持ち主ですが、
賢治には、「生きる」という姿勢だけが根づいています。
神様、いえ彼は熱心な仏教徒でしたが、彼の中では、
「神様」と「仏」は同一のものとして調和されていたと思います。
さて、これからが「賢治を訪ねる旅」への旅たちだと感じています。
断片的に心に浮かぶことを、ただ、徒然に書いたに過ぎません。
では、どうぞ、立ち寄って下さった皆さんの
「賢治観」なるものをお聞かせくだされば、さいわいです。φ( ̄- ̄ )
2 件のコメント:
こんにちわ
賢治を訪ねる旅、素敵です。
じっと見てるチャメちゃんが文学の教授に思えてきました(笑
「控えめに」なんてとんでもない。
すごく深い読みに感動してます、
以前、本を丸写ししていると聞いた時から、チャメママさんの書物への向き合い方というか、素晴らしいなと思ったんですが、ほんとにすごいですよ。
『銀河鉄道』を読んだのはだいぶ昔のことで、その時には思わなかったんですが、今、チャメママさんのお話を聞いて、ふとダンテの「神曲」が浮かびました。
ダンテもウェルギリウスに会って地獄煉獄天国と旅しますが、この二人の関係が、ジョパンニとカンパネルラの関係にシンクロしてるように思えて、
ダンテと賢治では住んでる場所も時間も違うのに、どうしてこういうことが起こるのか。
何かとてつもなく壮大な時空を超えた力のようなものを感じて驚いています。
ダンテも賢治も あちらの世界のことを描いてるし、なんというか、この世に生きている人の中で、神の世界に近い人がいると神様のほうからやってきてその人たちにあちらの世界を見せるのかな、とか勝手に想像してます。
「銀河鉄道」の世界は創造ではなく、チャメママさんおっしゃように「実感」したんですね。なにかとても不思議ですがひきこまれます。
チャメママさんの体験されたjことにも大いに興味あります。
霊界は 私も存在すると信じています。
「誰かのためであれば最高の形で登場する」
この言葉、心にグッときました。
何かものすごく大切な宝をもらったときのような気持になりました。
病弱で長くは生きられないことをわかっていた賢治だからこそ、毎日真剣に生きて、感性も研ぎ澄まされてきたからこそ、神の世界が見えたのかも、と思います。
私ももう一度賢治の本を読んでみたくなりました。
------------
多治見は今日は雨でちょっと寒いです。
昨日まではやけにあったかくて、地震が心配でしたが、今日の日記で初めて知りましたが「揺れくる」なんてのがあるんですね。
私もいざという時、息子よりもチャコポンのことを真っ先に考えますよ。
体調のほうはどうですか?
チャメセラピーで早く元気になりますように。
こんばんは
大変、恐縮です。
書いた本人より、深く真っ直ぐに捉えてくださっているleelinさんに、
感動しました。
私の所感読み返してみて、なんと、言葉足らずで、
ひとりよがりなんだろうと冷や汗たらたらです��
まあ、今いま、賢治の扉を開いたような者が、
わかるなんてことはないのでして、
感動と衝撃が関の山であります��
でも、賢治に出会って幸せです。
最近、太宰、芥川、漱石などを訪ねてみて、
なぜか、ある腹立たしさのようなものを覚えていました。
...この世界は、また別の機会に...
そんな中に、賢治の生き様、純粋な心根がとても深く染み込んで
きました。
あ、コメントのコメントなのに、もう次のテーマに入り込んでいるような...��
どうして、こんなにそそっかしいのかしら(笑)
“ 病弱で長くは生きられないことをわかっていた賢治だからこそ、
毎日真剣に生きて、感性も研ぎ澄まされてきたからこそ、
神の世界が見えたのかも、と思います。 ”
そうです。そうです。
安らかで静かな最後だったと書いてありました。
神様からいただいた命を精一杯生き切って行ったのですね。
多くのことを教えてくれているので、何度も訪ねてみたいと思います。
ありがとございました。
そうそう、チャメ監督、チャメ看護婦、チャメ先生、
と色々な顔を持つうちの子、その目に見られるとはっとします(笑)
コメントを投稿