エメラルドグリーンの瞳が自慢でした。
日本から、今日船便が届きました。
もう食べられることのない、着られることのない色々なものが
届いても、 淋しさが増すばかり...
でも、それもこれも供えて賑やかな祭壇にしてしまいましょう。
どこかでだいが見ているでしょうから !
写真はまだなのです (^ ^;
このお洋服、小さくてだいには合わないようだけど、
リフォームして着せてみたかったのですよ。
処方食のドライフードやおやつのかつおやまぐろのフレークもあります。
全部、外の猫さんたちに食べてもらいましょう。
今日は、日本の娘たちに、だいの分骨と粉骨で作った石と
お腹の毛としっぽの毛を送る準備もしました。
夢中で何かをしている時は良いのですが、
ふと手を止めた時、休む時、ひしひしと押し寄せる寂寥感は、
大変なものです。
ペットロスなどという状態は無縁のものと思っていました。
でも、ずしんと重い哀しみが石臼のように感じられるのですね。
今日1日で何十回だいの名前を呼んだことでしょう。
そして、詫びたい気持にかられてしまいます。
最後に苦しませたことがどうにもたまらないのです。
人が動物に的確に完璧に責任を持っていくことは愚かな私には
無理だったのだと痛感しました。
僅かに愛したと思っていても、その数倍もの愛を
逆にだいから受けていることを思った時に、
「なんだ、何もできなかったのか...」という情けない自身を発見してしまいます。
かねてから、だいの最後は「眠るように安らかに」と願っていましたので、
それが叶わなかったことが、今も「どうして !」という信じられない思いなのです。
15年もの間、あんなに元気にだったのに...。
申し訳ありません。いつまでもこういうことではいけませんね。
明日から、一新してやるべきことはやると決意...できるかな。
6 件のコメント:
和みさん、お辛いですね。かつて私も同じ道を辿った者として、心からお察し致します。 私も、どうして良いのか分からない悲しみに覆いつくされた時、沢山の弟ワンコの写真を額に入れて飾りました。すると、すこーしだけ悲しみが和らいだ気がしたのです。その後の私のあまりな悲嘆ぶりに、娘や主人がたのしい物を見せたりしてくれましたが1年以上、私の悲しみは続いてしまいました。それは弟ワンコがまだ8才と6日と若かった事と、やはり苦しんで逝かせてしまったこと。頭の中で、その事がグルグルと堂々巡り。でもいつしか、弟ワンコは、私の一部となっていました。いつでも一緒。私の中で目を輝かせています。
こればかりは「時間」と言うお薬に頼るしかないのです。
今一番、お辛い時だと思いますので、無理をなさらないで下さい。
お節介とは思いましたが、コメント致しました。
弓月さん
本当に貴重な体験を伝えて下さってありがとうございます。
同じ道を通過した方のお話はブログに山ほどあっても、
お訪ねする気持ちになれずにいました。
でも、弓月さんのコメントを拝見して、心に染み渡り、
感謝の心情でいっぱいになりました。
「時間」というお薬ですね。
永遠にいつも一緒にいることが唯一の望みです。
今、山のような写真の数々を訪ねていますが、
選んで早くお部屋のあちこちに飾って、だい尽くしに
してみようと思います。
弟わんちゃんが虹の橋を渡って行った時の切なさが
伝わってまいります。
だいを思う時間が大切なので、あるがままの心情に身を委ねて
だいが淋しくないように、瞬時も心を寄せて語り掛けてあげます。
ありがとうございました。
本当に綺麗な写真ばかりだし、撮影担当者が…涙
ペットをなくした方のコメントに救われるね(^ ^)
小さい頃、ハムスターが亡くなってしまった時、ショックで見ることができなかったよ。
大ちゃんを最後まで看病してくれて、ありがとう。
大ちゃんも家族の気持ちに最後まで忠実にいて、私の師匠だよ。
人も動物も闘病生活は、一に反省、二に実行、三に忍耐だから、後悔だらけになるのが当たり前だから、大ちゃんを苦しい気持ちで愛さないで、全部愛してあげようね。
keii さん
コメントありがとう ❤
1に反省、2に実行、3に忍耐なのね。
反省ばかりだわ。理想的な飼い主としての実行力はおお欠けだった(・・;)
忍耐...だいのお世話は忍耐ではなかったけれど、
「もう限界だから、ママより後に残らないで」とつぶやいたことはあったわね。
だいはおりこうで、最後のお注射も良い子でお座りして、
何事もなかったように済ませたのよ。
本当にお手本だったわ。
後悔は悲しみだけ。だいはかえって心配するわね。
苦しい気持ちで愛するのでは良くないわね。
色々含めて、これだけが私のだいへの愛の形だったと思って
心をおさめるわ。素敵なコメント、ありがとう❤
私もだらが亡くなった時は、後悔はだらけでした。
腎不全だと分ってから、半年で亡くなったものだから・・・お医者さんに、後2年くらいと言われていたのに、早すぎる死に、ああすれば良かった・・こうすれば良かったのか・・って。
友人に、「その時にベストだと思う事をしたんだから、それがベストだったんだよ」って言われて、そうだよな・・その時はこれが1番良いと思ってやったんだから、それで良いんだよね、って思えるようになったのよ。
なごみさんも、一生懸命調べて、だいちゃんに処方食を探したり、だいちゃんも食欲が増したり、美味しく食べていたんだから、その時に出来る1番ベストな事をしていたと思いますよ。
幸せそうな様子は、ブログを通して伝わってきたもの。
悲しみは、なかなか癒えないと思うけど・・・・泣くと、ストレスも涙で出るらしいし。
優しい旦那さんと思い出を話したりして、泣いて笑って・・・・
あと、私は、お笑いのテレビを見て気を紛らせていました。
ひでこさん
幸せそうと仰っていただき慰められます。
私は精一杯、一番良いということをすべてしてあげられませんでした。
私自身が体調が悪かったり、だいの病院ストレスもあったりして、
行かなかったことも数々。
セカンドオピニオンを考えいたのに、最後に連れて行ったときは
もう手遅れでした。慢性腎不全だから、そんなに長く生きられないとは
覚悟していたものの、不足だらけの自分がどうにも許せないのです。
だいは許してくれているのでしょうか。
命に責任を持つことの意味を問いかけています。
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